十一月三十日。
呻き声にも似た自転車の軋めきを聞きながら、私は海沿いの参道を進んでいた。
休日の昼下がり、福山からここ沼隈まで自転車を漕いできたせいで、多少の汗を掻いてはいたが、潮風が心地よく頬を撫でてくれる。
行先は、磐台寺観音堂。『阿伏兎観音』の通称で呼ばれる寺だ。
磐台寺は、正暦三年(九九二年)頃に花山法皇により、航海の安全を祈願して創建された寺院で、福山の歴代藩主の保護を受けてきた。
その後、一九五六年に国の重要文化財に指定され、今も航海の安全に加え、子授け、安産の祈願所として知られている。
拝観料の百円を支払い、境内に入る。
寺や神社を訪れた時の癖で、おみくじを引くと、『吉』。可もなく不可もなくだと思いながら、みくじ掛け(二本の柱の間に棒や縄を渡したもの)に結ぼうとしたら、ちぎれてしまった。悪いフラグが立ったかもしれない。
客殿の裏手に回り、阿伏兎観音堂へ向う。
傾斜の急な石段を上り、観音堂につく。
まず、最初に驚かされるのが、その構造である。
柵は私の膝程しかなく、加えて床が外側に向けて斜めになっている。
その上、下は切り立った崖で落ちたらただでは済まないだろう。
堂内を覗き込むと、
πである。
ものすごい量のπの絵馬が奉納されている。
しかも広島だけでなく、他県のもの沢山ある。
どうやら子授け、安産祈願の名は伊達ではないらしい。
独身だが賽銭を入れ、手を合わせると、私は眼下に広がる海を堪能することにした。
不思議なものである。
海とは、言ってみればデカい水である。
だというのに、目に映る水の色、揺らめく波の動き、太陽の光を反射する白い煌めき。
それら一つ一つに感じ入るものがある。
有体に言えば、美しい。
無論、川や湖、池、ただの水溜りにだって美しいものはある。
だが、海には、海にしかないある種の圧倒的な存在感が心を掴む。
実際、この寺から見える景色は見事なものだ。
歌川広重の浮世絵や、志賀直哉の『暗夜行路』にも紹介されたのも頷ける。
そこで考えた。
この寺をなぜ花山法皇が建てたのか、そして歴代藩主が保護を続けてきたのかを。
前述した通り、その理由は、祈願だろう。
しかしただ美しい景色があったから、その美しい景色に何らかの形で自分達も加わりたいと思ったからではないか……
何言ってやがる。
このウスラトンカチ。
などと言われても仕方ない。
すべては私の妄想だ。
だが、この景色を私が美しいと感じたのは事実である。
だから
ありがとうございました。
(薬剤科)